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大阪地方裁判所 昭和48年(人)5号 判決 1973年10月09日

請求者 甲山太郎 外一名

拘束者 乙野春子 〔人名仮名〕

被拘束者 丁村四郎こと乙野六郎

主文

一  被拘束者を釈放し、請求者らに引渡す。

二  手続費用は拘束者の負担とする。

事実

第一請求者らの求めた裁判

主文同旨の判決

第二拘束者の求めた裁判

一  請求者らの請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者に引渡す。

三  手続費用は請求者らの負担とする。

との判決。

第三請求者らの請求の理由

一  拘束者は、昭和四三年四月一日○市所在の○○学院(幼稚園)の教諭となり、乙谷三郎、花子夫婦の長女恵麻の担任となつたことがきつかけで、同年一〇月頃から花子と親しくなつて、右乙谷宅をしばしば訪問するようになり、その結果三郎とも知り合い、昭和四四年一月一五日から三郎と情交関係を結ぶようになつた。

二  同年八月、三郎の子を懐胎した拘束者が、その旨を同人に告げたところ、三郎は妊娠中絶をするよう迫つた。しかし、拘束者はこれを拒否し、生まれてくる子は三郎において引取り養育するよう要求した。思い余つた三郎は、実兄の乙谷二郎、冬子夫婦に相談し、同年一一月頃子がなくて養子を欲しがつていた請求者夫婦を知人から紹介されたので、実夫婦が拘束者およびその母乙野秋子に、生まれてくる子を請求者夫婦に養子として養育してもらうべく、相談したところ、拘束者らもこれを承諾した。

なお請求者夫婦は、養子とする子供について、戸籍上は実子として出生の届出をしたいと考えていたので、前記冬子と相談して、請求者夏子名義の母子手帳を用意し、拘束者宅に持参したところ、拘束者も請求者らの意図するところを了解して、右手帳を受け取り、秋子も娘の戸籍に疵がつかないと感謝した。

三  拘束者は、請求者夏子名義の右母子手帳を持参し、請求者夏子になりすまして、昭和四五年一月二二日、二月一〇日、三月六日の三回、八木診療所(産院)に通院し、三月七日同診療所に入院し、三月八日被拘束者を分娩して、三月一六日退院した。その間拘束者は、請求者らの意思に基つき被拘束者を四郎と命名した。

四  右退院の日、かねての打ち合わせに従い、乙谷二郎宅において、仲介人井上俊次、拘束者、乙野秋子、乙野五郎(拘束者の実兄)、請求者夫婦、乙谷三郎、乙谷二郎、冬子夫婦ら同席のうえ、養子縁組の式がなされ、被拘束者は拘束者から請求者夫婦に手渡され、その際請求者らは拘束者らから当面の養育上の注意を受けた。

そして翌一七日、被拘束者につき請求者夫婦の嫡出子とする出生届がなされ、同月二六日には、拘束者、秋子、五郎の三名が請求者宅に来て、被拘束者に犬の縫いぐるみと粉ミルク一罐を、また請求者夏子にショールを贈り、「宜しく頼む」と述べた。

五  ところが、同年四月二五日になつて、拘束者は、辻尾恵子とともに請求者宅に来て、被拘束者を実力で奪おうとしたが、失敗した。その際拘束者は、「本当は子供なんかほしくないが、三郎に復讐するための道具として必要である」と述べた。

その後拘束者は、第三者の仲介によつて子の返還を要求するに至つたが、子を自らの手で養育するのが真意ではなく、三郎に対する復讐が目的であつた。

六  右仲介が不調に終わるや、拘束者は、請求者らに子を奪い取られた旨の虚言を弄してその取返しを企て、昭和四五年一二月一二日大阪地方裁判所堺支部に人身保護法に基づき子の引渡請求(同庁昭和四五年(人)第二号事件)をなすに至つたが、同裁判所は昭和四七年三月三一日右請求を棄却する旨の判決(以下堺支部判決という)を言渡した。そして拘束者は直ちに上告したが、最高裁判所も同年七月二〇日上告を棄却した。

ほかに拘束者は、大阪家庭裁判所堺支部に、請求者らと被拘束者間に親子関係が存在しないことの確認等を求める調停を申立てたので、請求者らは、戸籍法における真実主義の要請のために、涙をのんで調停成立に合意し、その結果昭和四六年二月頃、家事審判決第二三条により、右両者間に親子関係が存在しないことを確認する旨の審判がなされ、それに基づき「丁村四郎」の戸籍簿の記載が抹消されるとともに、拘束者が被拘束者を六郎と命名し、自己の子として出生の届出をした。

なお三郎は、被拘束者を認知したうえ、同年四月一日同支部に自らを被拘束者の親権者として指定する旨の審判を求める申立(同庁昭和四六年(家)第四六二号事件)をなし、請求者らも同日同支部に、請求者らを被拘束者の監護者に指定する旨の審判を求める申立(同庁同年(家)第四六三号事件)をなし、いずれも現に同支部に係属中である。

これに対して拘束者は、昭和四七年四月五日、親権に基づき請求者夫婦を被告として、大阪地方裁判所に被拘束者の引渡を求める訴え(同庁昭和四七年(ワ)第一、四七二号幼児引渡請求事件)を提起したが、その後、次項で述べるように拘束者において被拘束者を実力で奪取し、その目的を達したので、昭和四八年六月二三日右請求を放棄した。

七  ところが、昭和四八年五月五日午後一時過ぎ頃、請求者夏子が被拘束者を連れて自宅付近の道端で買物をしていたところ、突然、拘束者ほか数名の者は、被拘束者を奪取し、附近に待たせてあつた乗用車に連れ込んでそのまま逃走し、以後被拘束者は拘束者の支配下に軟禁拘束されることになつた。

ちなみに、その際、請求者夏子は被拘束者を奪われまいとして、逃走する拘束者らと共に車に乗り込んだが、車の外へ蹴り出され、なおも車の扉にしがみついて抵抗したところ、拘束者は右請求者がかような危険状態にあるのを現認しながら、敢て車を発進加速したため、右請求者は五、六メートル引きずられて力尽きて転倒し、全治一〇日間の傷害を受けた。

八  被拘束者は、「藁の上からの養子」として、生後三年二か月間請求者夫婦に監護養育され、そこには実の親子以上の強固な愛情の絆によつて結ばれた生活秩序が形成されていた。そして、前記堺支部判決により拘束者からの人身保護請求は否定され、請求者夫婦と被拘束者間の愛情を絆とした生活秩序は、法的にも保護された状態になつていた。

しかるに拘束者が、暴力的な手段で計画的に被拘束者を奪つて逃走し、右の状態を破壊したことは、特に三才児という心理的にも重要な時期にある被拘束者に対し、精神的にも性格形成上も重大な悪影響を与える結果となることは明らかであり、拘束者の右行為は、子供の人権を無視し、三年以上もの間無償で自分の子を健康に養育してくれた請求者夫婦に対する恩義を忘れたエゴイストの正体を暴露するものといわざるを得ないのであり、拘束者には監護養育者としての適格性はない。このような拘束者の支配下に被拘束者がおかれた場合、被拘束者は、拘束者の私物化され、請求者らの監護下におかれる場合に比較して不幸であることは明白である。

また自力で被拘束者を奪取した拘束者の行為は、自力救済を禁止する現行法の基本的理念を真向から否定するものであり、かかる行為が是認されるのであれば、力の強い者が常に勝利を得る結果となつて、法秩序は全く維持されないことになる。

九  請求者夫婦は、被拘束者に対する監護養育権を有している。

請求者夫婦は、被拘束者の出生以前より同人を養子として貰い受ける準備をし、出生後間もなく拘束者を代諾権者とする養子縁組の合意をし、戸籍上は、双方の希望により請求者夫婦の嫡出子として届出をしたもので、その後拘束者により奪取されるまでの三年余りの間、平穏に被拘束者を監護養育してきた。このように、養子縁組をする意思で嫡出子として出生届をしたような場合には、無効行為の転換理論により、請求者夫婦と被拘束者間に有効に養子縁組が成立していると解すべきで、請求者夫婦こそ親権者であつて、拘束者の戸籍上の親権者としての記載は形骸にすぎない。

仮に右の無効行為の転換が認められないとしても、請求者夫婦と被拘束者との間には事実上の養親子関係が成立しているので、請求者らは被拘束者に対して監護権を有する。

一〇  被拘束者のように意思能力のない幼児を自己の支配下に置く所為は、当然に幼児の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その所為自体が、人身保護法および同規則にいう拘束にあたると解されるところ、以上の事実によれば、拘束者による被拘束者の拘束の違法性は顕著であるから、請求者らは、人身保護法に基づき、拘束者の違法な拘束の排除と、被拘束者の請求者らへの引渡を求める。

第四拘束者の答弁ならびに主張

一  (答弁)

1  第三の一の事実中、拘束者が昭和四三年四月一日○市所在の○○学院(幼稚園)の教諭となつて、乙谷三郎、花子夫婦の長女恵麻の担任となり、その後三郎と情交関係を生じたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  同二の事実中、三郎が自分の子を懐胎した拘束者に、妊娠中絶をするよう迫つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同三の事実中、拘束者が被拘束者を昭和四五年三月八日八木診療所において出産し、三月一六日同診療所を退院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同四の事実中、被拘束者につき請求者夫婦の嫡出子として出生届がなされたこと、拘束者ならびにその母秋子、兄五郎の三名が、請求者宅に行つたこと(但し日は同年三月二九日である)は認めるが、その余の事実は否認する。

5  同五の事実中、拘束者が同年四月二五日辻尾恵子と共に請求者宅に行き、被拘束者の引渡を求めたこと、その後も拘束者は被拘束者の返還を求め続けてきたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同六の事実中、拘束者が虚言を弄したことは否認し、その余の事実は認める。

7  同七の事実中、昭和四八年五月五日午後一時過ぎ頃、請求者夏子の手もとにいた被拘束者を拘束者が連れ戻し、以来被拘束者を拘束者のもとで監護養育していることは認めるが、その余の事実は否認する。

8  同八ないし一〇の事実は否認する。

9  事実は、以下二において述べるとおりである。

二  (事実上の主張)

1  拘束者は、被拘束者を懐胎した時から、出産のうえ自己の手で養育することを決意していたにも拘わらず、請求者らは、昭和四五年三月一六日生後九日目の赤子であつた被拘束者を、拘束者の知らない間に奪い去つたのである。

そもそも未婚の若い女性が、男性(乙谷三郎)からの強い妊娠中絶の要求をはねのけて出産を決意し、胎内における胎児の生長を自分の体で確め、出産の苦しみを味わつて産んだ子(被拘束者)を、手放すようなことはあり得ないことであり、かかる女性の心理を理解するならば、拘束者と請求者夫婦との間の合意に基づき事実上の養子縁組がなされたという請求者らの主張が虚偽であることは、容易にわかることである。

2  拘束者は、昭和四五年三月一六日被拘束者を奪い去られてからは、再三乙谷二郎らにその返還を求めると共に、八方手を尽して請求者夫婦の住所を捜し、同月二九日、やつと捜し当てた請求者宅に、拘束者、秋子、五郎の三名が被拘束者を連れ戻しに行つたが、請求者太郎から刃物をもつて脅迫されたため、やむなくそのまま帰つた。

思い余つた拘束者は、辻尾恵子の協力を得て、同年四月二五日再び被拘束者を連れ戻しに行つたが、暴力を振われ、またしても被拘束者を連れ戻すことができなかつた。

3  右の如く、拘束者は、被拘束者を奪われて以来、我が子の返還を要求し続け、再三その様子をひそかに見に行つていたが、昭和四八年五月五日の子供の日にも、友人六人と共に自動車で被拘束者の様子を見に行つた。そして、同日午後一時過ぎ頃になつて、請求者夏子が被拘束者を連れて請求者宅から出て来たのを目撃し、拘束者は思わず「取り返して」と叫んだところ、それを聞いた友人の一人が、請求者夏子が買物をしていた隙に被拘束者を抱きかかえ、前記自動車に連れ込んだ。この時請求者夏子が、その後を追つて自動車の後部座席へ腰から割り込むようにして入つてきたので、友人はその腰部を押し出したが、請求者夏子が後部左側ドアの上部縁をつかんで離さないので、同女に怪俄をさせないよう「危ないから」といいながらこれを振りほどき、ドアを閉めると同時に、拘束者は自動車を発車させた。従つて、請求者夏子を車で五、六メートルも引きずつた事実はない。

4  請求者らには被拘束者を手もとに留め置く何らの権限もないが、これに引換え、拘束者は被拘束者の唯ひとりの親権者であるところ、請求者らはその拘束者の親権行使を現に妨害し続けていたのであり、拘束者は、被拘束者に対する親権行使のため、必要やむをえず右のような行為にでたのであるから、拘束者の行為は何ら違法ではない。拘束者は、堺支部判決の不当な事実認定、理由によつて、人身保護法に基づく引渡請求を排斥され、当時大阪地方裁判所に提起していた親権に基づく被拘束者の引渡請求の訴えについても、いつになれば勝訴の判決が得られるか、又得られたとしてもその段階で現実に執行が可能であるか、極めて不確実であつたので、自らの親権を守るため、被拘束者に対する親権者としての義務を果すため、子を抱きたい一心の母親の情に逆らい切れずに前述のような行為に出たのであり、それは人間として、母親としての愛情の発露である。

5  昭和四八年五月五日以降、拘束者は、支援団体の暖かい強力な支持のもとに被拘束者と生活を共にし、現在の勤務先である○○市立○小学校においても、校長以下全職員から全面的な支援を受けており、勤務しながらの育児態勢は整つている。

また拘束者の両親、兄達も被拘束者の監護養育に全面的に協力し、母秋子はつきつきりで被拘束者の面倒をみるし、兄達も精神的経済的援助を惜しまず、特に次兄方には同年配の子供がいて、実の兄弟の如くに親密になつている。

被拘束者自身も、それ以後、請求者らの許に帰りたがることなく、拘束者になついている。発育は順調で、体重は増加し、性格的にも社会性が備わりつつあつて、落着いた生活を送つており、教育環境は良好である。

三  (法律上の主張)

1  人身保護法第二条に規定する拘束とは、人の自由な意思に反してその身柄を一定の場所に留め置くことをいうが、幼児の場合、未だ自由な意思というものは認め難いから、幼児の拘束とは、その監護者である親権者の意思に反して、幼児を一定の場所に留め置くことをいうと解すべきで、親権者である者が、その意思によつて幼児を一定の場所に留め置く場合は、幼児を虐待しあるいは全く養育しない等、親権者としての監護権の濫用といえるような事実のない限り、右拘束にあたらないというべきである。

しかるに本件では、請求者夫婦は被拘束者と法律上何の関係もないが、拘束者は被拘束者の母で、唯一無二の親権者であり、その拘束者が、我が子である被拘束者を現に監護養育しているのであるから、これをもつて、人身保護法にいう拘束にあたると解することは到底できない。

2  仮に、拘束者の監護養育状態が、人身保護法にいう拘束であると解されるとしても、幼児の親権者が拘束する場合には、特に親権の濫用の事実がない限り、その拘束は、人身保護法の定める不当な拘束(同法第一条)、法律上正当な手続によらない拘束(同法第二条)、あるいは「その権限なしにされ又は法令に定める方式若くは手続に違反していることが顕著である場合」(人身保護規則第四条)に、該当しない。

3  本件において、請求者らは、単に被拘束者の釈放を求めるだけでなく、その引渡を求めているが、それが認容されるためには、請求者らにその引渡を求める法的権限が必要であると解されるところ、以下述べるように、請求者らにはそのような権限は全くない。

(一) 拘束者は、被拘束者を請求者の養子とすることに同意したことはなく、また事実上の養子として被拘束者を請求者らに引渡したこともない。請求者夫婦は、乙谷三郎らと謀つて、拘束者から被拘束者を不法に奪つたのである。

(二) 仮に拘束者と請求者らの間に事実上の養子縁組の合意があつたとしても、右合意は内縁関係を発生させる身分的法律行為であるから、その性質上、拘束者の一方的意思表示によりこれを有効に取り消すことができるものと解するのが相当である。

また、仮に、事実上の養子として拘束者が被拘東者を引渡した事実があつたとしても、右行為は法律上被拘束者の監護養育についての準委任契約の成立と解されるところ、準委任契約は、委任者が一方的に解除することができる。

ところで拘束者は、昭和四五年三月二九日、請求者らに被拘束者を返して欲しい旨申入れ、遅くとも、請求者夫婦が被拘束者を養育し始めて四〇日後である同年四月二五日には、請求者らも認めるとおり、被拘束者の引渡を求める意思表示をしており、以後調停、人身保護請求等を申立てて、その意思表示を継続していたのであるから、拘束者は、右養子縁組の合意を有効に取消し、また右準委任関係を有効に解除している。

(三) 拘束者が大阪地方裁判所堺支部に提起した人身保護請求事件の判決において、拘束者の請求が棄却されたことは、何ら請求者夫婦に被拘束者を手もとに置く法的権限を付与するものではない。

4  幼児の監護について何の権限もない者から、親権者に対して幼児の引渡を求めて人身保護請求をする場合には、親権者が拘束を開始した際の手段、態様は問題とされるべきでない。なぜなら、幼児の引渡を求める人身保護請求事件では、単に幼児の釈放を命ずるにとどまらず、幼児を誰の監護下に置くかを決めなければならないが、その判断に当つては、拘束開始の際の手段、方法よりも、現在の監護権者は誰かということが、重要だからである。

また、右の場合には、幼児を拘束している者とその引渡を請求する者のいずれに監護させるのが幼児にとつて幸福かという点を考慮する必要はない。このいわゆる幸福論は、右両者が幼児の共同親権者、または親権者と監護権者という立場にある場合に適用されるべきもので、一方が幼児の監護について法的権限を有しない者である場合には、いずれに監護させるのが幸福かを判断し、考慮する必要は全くない。

第五証拠(疎明)<省略>

理由

一  拘束者が、昭和四三年四月一日○市所在の○○学院(幼稚園)の教諭となり、乙谷三郎、花子夫婦の長女恵麻の担任となつたこと、その後拘束者が三郎と情交関係を持ち、同人の子を懐胎したこと、拘束者が昭和四五年三月八日産婦人科八木診療所において被拘束者を出産し、同月一六日同診療所を退院したこと、同日から請求者夫婦が被拘束者を事実上監護養育するようになつたこと、ところが昭和四八年五月五日午後一時過ぎ頃、請求者夏子の手もとにいた被拘束者を拘束者が実力で連れ戻し、以後、被拘束者が拘束者のもとで監護養育されていることは、当事者に争いがない。

まず、請求者らが被拘束者を事実上監護養育するようになつたいきさつ、拘束者が被拘束者を連れ戻した経緯、監護の状況等についてみるに、成立に(疎甲第一・二号証、同第五四号証、疎乙第一・二号証以外については原本の存在も)争いのない疎甲第一・二号証、同第九号証、同第一〇ないし第一六号証(但し疎甲第一四・一五号証については後記措信しない部分を除く)、同第一八号証、同第二八号証、同第三〇・三一号証、同第四一号証、同第五四号証、疎乙第一・二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる疎甲第一七号証、同第二四号証、同第二九号証(以上については、原本の存在について争いがない)、同第五九・六〇号証、請求者甲山夏子本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第五〇号証(原本の存在については争いがない)、同第五三号証、同第五六・五七号証、同第五九号証、被写体が請求者ら主張のとおりの写真であることについては争いがなく、弁論の全趣旨、右本人尋問の結果により、いずれも請求者ら主張の日に撮影されたと認められる疎検甲第一ないし第七八号証、被拘束者の写真であることについては争いがなく、弁論の全趣旨、拘束者本人尋問の結果により、いずれも拘束者主張の日に撮影されたと認められる疎検乙第一ないし第二〇号証、同第二一号証の一ないし三七、並びに証人乙野五郎の証言(但し後記措信しない部分を除く)、請求者甲山夏子本人尋問の結果、拘束者本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)を総合すると、次の事実が認められる。

1  乙谷三郎は、昭和四四年八月頃、拘束者から妊娠したことを告げられ、拘束者に妊娠中絶をするよう迫つたが、拘束者はこれを拒否し、生まれてくる子は三郎のほうで引取つて養育するように要求した。思い余つた三郎は、兄の乙川一郎、乙谷二郎、冬子夫婦らに相談したところ、生まれてくる子供は、子供が欲しい他人に、養子として貰つてもらうのがよいのではということになつた。そして、養子先を捜していたところ、同年一一月頃になつて、知人の井上から子がなくて養子を欲しがつていた請求者夫婦を紹介された。そこで、乙谷二郎、冬子夫婦は、同月中旬頃、拘束者およびその母乙野秋子に、生まれてくる子供を、請求者夫婦に養子として養育してもらつてはどうかと相談したところ、右両名はこれを承諾した。

なお、請求者夫婦は、養子としてもらう子供について、戸籍上は実子として出生の届出をしたい希望があつたので、前記冬子に相談したところ、冬子は、請求者夏子名義の母子手帳を用意し、拘束者が請求者夏子になりすまして分娩する方法を考えつくに至つた。そこで冬子は、請求者夏子名義の母子手帳を用意して拘束者宅に持参したところ、拘束者も冬子の意図するところを了解して右手帳を受取り、秋子も、娘の戸籍に疵がつかないうえ、生まれてくる子供も戸籍上私生子(非嫡出子)ということにならないとして、感謝した。

2  このようにして拘束者は、請求者夏子名義の母子手帳を持参し、請求者夏子になりすまして、昭和四五年一月二二日、二月一〇日、三月六日の三回八木診療所に通院、診察を受けたが、他方、請求者夏子も、請求者太郎と相談のうえ、世間にも子供が自分の実子であるように見せかけるために、昭和四四年暮頃から出産のための里帰りを装つて、東大阪市の請求者夏子の実姉の許に身を寄せていた。

拘束者は、昭和四五年三月八日午前〇時五分右八木診療所に入院し、同日午前七時五分被拘束者を分娩、同月一六日右診療所を退院した。なおその間、請求者夫婦が名付けた「四郎」という名前を、拘束者から八木診療所の医師に伝え、医師の出産証明書を得て、翌一七日請求者太郎が、四郎という名前で請求者夫婦の長男として出生の届出をした。

3  いよいよ右退院の日、乙谷二郎宅に、前記井上、拘束者、乙野秋子、乙野五郎(拘束者の兄)、請求者夫婦、乙谷三郎、乙谷二郎、冬子夫婦らが集まり、自己紹介をした後、まず仲人役の井上が、「実子同様に育ててくれる人が見つかつたので、請求者夫婦、拘束者および被拘束者にとり最善の途と考え、この方法をとつた」という趣旨の挨拶をし、ついで、秋子が請求者夫婦に育児記録(疎甲第五六号証)、母子手帳(疎甲第四一号証はその写)、哺乳瓶、ミルク罐、等を手渡して、「ミルクはメーカーを変えないように」と注意を与え、ほかに被拘束者用の衣類等も贈り、請求者夫婦は、鯛の形に造つた砂糖を内祝として出席者に配つた。その際請求者夏子は、秋子と拘束者から、当面の養育上の注意も受けた。その後請求者夏子は、拘束者の面前で秋子から被拘束者を手渡され、請求者夏子は、秋子らの見送りを受けて、乙谷二郎宅を辞去した。

そして同月末頃には、拘束者、秋子、五郎の三名が請求者宅を訪れ、被拘束者に犬の縫いぐるみと粉ミルク一罐を、請求者夏子にシヨールを贈り、「宜しく頼む」と挨拶した。

4  ところが拘束者は、その後になつて気がかわり、被拘束者を取り返そうと考えるようになり、同年四月二五日知人の辻尾恵子と共に請求者宅に赴き、請求者夏子に、被拘束者を返して欲しいと申入れ、同人がこれを拒むと、力ずくで被拘束者を奪おうとして請求者らと争つたが、その際は目的を達しなかつた。それ以後拘束者は、請求者らに被拘束者の返還要求を続けるようになつた。

そして昭和四五年一二月一二日、拘束者は、請求者らが乙谷二郎らと計つて被拘束者を奪つたとして、大阪地方裁判所堺支部に、人身保護法に基づき被拘束者の引渡を求める請求をしたが、同裁判所は昭和四七年三月三一日右請求を棄却し、拘束者は直ちに上告したが、最高裁判所も同年七月二〇日右上告を棄却した(右の点は当事者に争いがない)。

その間、拘束者は、大阪家庭裁判所堺支部に、請求者らと被拘束者間に親子関係が存在しないことの確認等を求める調停の申立をし、請求者ら主張の審判がなされ、これに基づき昭和四六年二月丁村四郎の戸籍簿の記載が抹消され、拘束者が被拘束者を六郎と命名して、自己の子として出生の届出をなし、三郎が被拘束者を認知し、同年四月同支部に、三郎が親権者指定の申立を、請求者両名が監護者指定の申立をなし、これらは現に同支部に係属中で、ほかに拘束者は、昭和四七年四月五日大阪地方裁判所に、親権に基づき被拘束者の引渡を求める訴え(同庁昭和四七年(ワ)第一、四七二号事件)を提起した(この訴訟は、次の5で述べるように、その後拘束者が被拘束者を実力で奪い返し、目的を達したので、昭和四八年六月二三日請求を放棄して終了した。以上の事実も当事者に争いがない)。

5  ところが、昭和四八年五月五日午後一時過ぎ頃、請求者夏子が被拘束者を連れて自宅付近の道端で買い物をしていたところ、かねてから被拘束者を取り戻す機会をうかがつていた拘束者ほか二、三名の者が、被拘束者を奪い取つて附近に待たせてあつた乗用車に連れ込み、そのまま車を発車させ、さらに航空機に乗りついで逃走し、以後被拘束者は拘束者の許で拘束者に監護養育されることになつた。

右奪取の際、請求者夏子は、被拘束者を奪われまいとして前記乗用車に乗り込んだが、車の外へ蹴り出され、なおも車の扉にしがみついて抵抗したが、拘束者が車を発進加速させたため、三、四メートル引きずられて力尽きて転倒し、加療約一〇日間を要する左小指、右肘関節部、右膝関節部の擦過傷兼打撲傷などの傷害を受けた。

6  請求者夫婦は義務教育を終えただけであるが、請求者太郎はミシンによる縫製加工業を営み、月額一六万円から二〇万円の収入があつて経済的には安定しており、被拘束者は、生後九日目に請求者夫婦に貰われてから本年五月五日に拘束者に奪取されるまで、実子のない請求者夫婦によつて実子同様に深い愛情をもつて養育され、健康に成育していた。

7  拘束者は現在○○市内の小学校に教師として勤務している。

以上の事実が疎明され、疎甲第一四・一五号証、証人乙野五郎の証言、拘束者本人尋問の結果中、これに反する部分は、前掲各証拠に照らして容易に措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお拘束者は被拘束者の居所を明らかにしないので、被拘束者の現在の生活状態等については、適確な心証が得られないが、前掲各証拠によると、拘束者の勤務中は、母秋子らが被拘束者の監護にあたつており、拘束者も愛情をもつて被拘束者に接し、被拘束者もある程度拘束者になついているようである。

二  次に、前項の事実に基づき、本件請求の当否を判断する。

1  被拘束者は、現在三才六か月の意思能力のない幼児であり、このような意思能力のない幼児を自己の手もとに置いて監護養育する行為は、当然に幼児の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、それ自体が人身保護法および同規則にいう拘束にあたると解すべきである。拘束者は、幼児をその親権者であり生みの母である者が監護養育する行為は、人身保護法にいう拘束にあたらないと主張するが、独自の見解であつて採用できない。

従つて、拘束者乙野春子は、被拘束者乙野六郎を拘束しているものといいうる。

2  ところで請求者らは、請求者両名と被拘束者の間には、養子縁組をする意思で嫡出子として出生の届出をしたものであるから、無効行為の転換の法理により、養親子関係が成立していると主張する。なるほど、前叙の事実によると、請求者夫婦は、縁組代諾権者である拘束者との間で、被拘束者を養子とし、かつ、請求者夫婦の嫡出子として届出る旨の合意をしたうえ、昭和四五年三月一六日拘束者から被拘束者の引渡を受け、翌日請求者太郎が嫡出子出生届をしたのであり、そしてこのような縁組の意思をもつてした嫡出子出生届に、縁組の効力を認める見解には、相当の理由がある。しかし、民法は未成年者の福祉のため、その縁組に家庭裁判所の許可を要するものとしているところ、右嫡出子出生届が縁組の効力を生ずることを認める(許可がないことは縁組の取消事由にすぎないことになる)と、事実上右許可を潜脱することを認めることになるおそれがあるなど、右見解にはなお疑問の点があり、請求者らの右主張は採用しない。

次に請求者らは、請求者夫婦と被拘束者との間には、事実上の養親子関係が成立しているから、請求者らは被拘束者に対して監護権を有するものと主張する。なるほど、前記事実によれば、昭和四五年三月一六日請求者夫婦が拘束者から被拘束者の引渡を受けた際には、請求者らと代諾権者である拘束者との間に、被拘束者を請求者夫婦の養子とすることについて意思の合致があり、その後、昭和四八年五月五日拘束者が請求者夫婦の許から被拘束者を奪取するまで、請求者夫婦と被拘束者の間には親子的共同生活の実体が継続していたと認められるから、請求者夫婦と被拘束者間に、事実上の養親子関係の成立が認められることは明らかである。しかし事実上の養親子関係は、当事者の一方の意思によつていつでも解消することができる(不当破棄として損害賠償の責任を負うことがあるのは別として)と解されるところ、昭和四五年四月二五日以降、拘束者は被拘束者を返還するよう請求者夫婦に要求し続けていたのであるから、その時点において拘束者は右事実上の養親子関係を解消する旨の意思表示をし、これによつて、請求者夫婦と被拘束者間の事実上の養親子関係は、解消されたものといわざるをえない。

さらに、前記堺支部判決が請求者らに被拘束者を監護する権限を付与したものでないことは言を俟たないところであり、他に現在請求者らが被拘束者に対し監護権を有していることについて主張・疎明がないから、請求者夫婦は、親権者でないのは勿論、監護権者でもなく、他方拘束者は、親権者として被拘束者を監護養育していることになる。

3  しかし、親権、監護権等を有する者でなければ、人身保護法に基づいて幼児の引渡を求めることができないというものではない。同法による救済は、拘束が権限なしにされ、または法令の定める方式、手続に著しく違反していることが顕著であるとき、請求により、裁判所の判決でなされる非常応急的な特別の処分であつて、幼児がその親権者によつて拘束されている場合においても、拘束が右要件に該当する以上、それがいわゆる親権の濫用に当るか否かを問わず、釈放その他適当な処分によつて救済されなければならないのであり、その救済方法として、裁判所は判決で監護権を有しない者に幼児を引渡すこともできるのである。右の点に関する拘束者の主張は、理由がない。

4  そこですすんで、さきに認定した一の事実に基づき、本件拘束の違法性について、考える。

拘束者は、現在被拘束者を愛情をもつて監護しており、被拘束者もある程度拘束者になついているようであるが、拘束者は、居所を明らかにすると被拘束者を奪い返されるという理由で、請求者らには勿論、裁判所にも被拘束者の居所を明らかにしない有様であるから(この事実は当裁判所に顕著である)、現在の監護の状態について、正確なところはわからないというほかない。

拘束者は、人身保護法に基づいて、大阪地方裁判所堺支部に、被拘束者の引渡を求める請求をしたが棄却され、さらに最高裁判所に上告したが、この上告も昭和四七年七月二〇日棄却されると、当時被拘束者引渡についての紛争に結着をつけるべき親権に基づく引渡請求訴訟が大阪地方裁判所に係属していたのに、法律に定める手続によらず、実力でその目的を達することにし、多人数の協力を得て、昭和四八年五月五日請求者夏子の必死の抵抗を排除し、傷害を負わせ、暴力をもつて被拘束者を奪い、自動車、航空機で連れ去つたものであり、かかる不当な実力行動にでたことが、拘束者をして、裁判所から拘束の場所を明らかにすべき旨の、人身保護法第一二条に基づく命令を受けたにもかかわらず、被拘束者を奪い返されることを恐れて、その居所を秘しておかざるをえない立場にしたのである。畢竟、暴力をもつて奪つた者は、暴力をもつて奪い返されることを恐れ、不安隠微の生活を強いられることになるのであり、拘束者の右実力による奪取は、現在の被拘束者の拘束状態になお影響を与えているものとみるべきである。

そもそも、被拘束者は、生後間もなく、請求者夫婦が拘束者から、事実上の養子として平穏公然のうちに引渡を受け、拘束者によつて奪取されるまで三年間にわたり、深い愛情をもつて養育してきたのであり、請求者らと被拘束者の間には、実の親子と同様の生活秩序が形成されていた。そして、父三郎は、被拘束者を認知して家庭裁判所に親権者指定の申立を、請求者らは監護者指定の申立をなして、請求者夫婦と被拘束者の養子縁組を法律上も成立させ、請求者らを監護者とする試みがなされていた。なるほど、その間、請求者らは拘束者から右養子縁組解消の意思表示を受け、被拘束者の引渡を求められていたのであるから、素直に引渡すべきであつたともいえようが、請求者らにおいて任意に引渡さなかつたのは、拘束者において、すでに被拘束者に愛情を抱いていた請求者らの意向を無視して、実力で被拘束者を取り戻そうとしたり、請求者らが乙谷二郎らと計つて出生後間もない被拘束者を拘束者の意思に反して奪つたと虚言を弄したりしたその態度にもよると思われるから、これをもつて、拘束者の実力奪取を正当化することはできない。ともかく、環境の急激な変化とともに、前記のような五月五日の拘束者の行動が、三才という性格形成上重要な時期にある被拘束者に与えた影響は少なくないと推測され、拘束者がこのような点について慎重な配慮を欠き、被拘束者を自己の許におくため、甚だしく不穏当な手段をとつたことは、拘束者の被拘束者に対する監護の態度を考えるうえでも、不問に付するわけにはいかないであろう。

以上のように、拘束者が被拘束者の居所を秘しているので現在の監護の状態が明らかでないこと、拘束者の拘束開始が甚だしく不当不法な手段によるものであつて、それが現在の拘束状態に影響を与えているとみざるをえない状況にあること、右拘束開始前の請求者らの監護が被拘束者の福祉に反するものではなかつたことなど、右に指摘した諸事情に徴すると、拘束者が被拘束者の親権者であり、請求者らに監護権がない点を考慮しても、拘束者の被拘束者に対する本件拘束をそのまま認容しておくことは、著しく不当であると認められるから、右拘束は、人身保護規則第四条本文にいう、拘束が権限なしにされ、または法令の定める方式、手続に著しく違反していることが顕著な場合にあたるというべきである。

三  よつて、請求者らの本件請求は理由があるからこれを認容し、人身保護法第一六条第三項によつて被拘束者を釈放し、同規則第三七条によつて被拘束者を請求者らに引渡すこととし、手続費用につき同法第一七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川恭 鴨井孝之 紙浦健二)

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